毎週末の夜、国道沿いを爆音を響かせながら走り抜ける集団。
「暴走族」という言葉は、1980年代のイメージと思われがちですが、今も各地で目撃されています。
最近では、関西の国道26号線周辺でも「暴走族イベント」が話題になりました。まるでパレードのように決まったルートをぐるぐると走り、見物する市民すらいるとのこと。
「警察はなぜ取り締まらないのか?」「道路使用許可でも取っているのか?」——そんな疑問を抱く人も多いでしょう。
本記事では、暴走族がなぜなくならないのか、そして警察がすぐに対応できない背景を解説します。
1. 警察がすぐに動けない理由とは?
人的リソースの問題
暴走族の取り締まりには、多くの人員と時間が必要です。
暴走は夜間や週末に集中し、警察は他の事件・事故対応にも追われています。
暴走族を追跡するには交通整理・監視・証拠確保など多面的な対応が必要で、限られた人員では即座に全て対応できません。
証拠収集の難しさ
暴走族はナンバープレートを外したり隠したり、服装やヘルメットで身元を特定しづらくします。
また、暴走は短時間で解散するため、警察が到着した頃にはすでに逃走していることが多いのです。
証拠がなければ逮捕・起訴が難しく、「逃げ切れば無罪」という印象が生まれてしまいます。
道路交通法の限界
暴走行為はもちろん道路交通法違反です。
しかし、スピード違反や信号無視のような個別の違反と違い、集団行動であり「誰が何をしたのか」を特定するのが非常に難しい。
そのため、現場で取り締まるよりも、後日映像証拠をもとに検挙するケースが多くなっています。
少年法による制約
暴走族の中には未成年者も多く、逮捕後は少年法のもとで特別な手続きが必要です。
結果として、検挙・処分までに時間がかかり、社会的には「軽い処分で済んでいる」という印象を与えてしまうこともあります。
2. 暴走族は本当に減っていないのか?
かつて全国で数万人規模だった暴走族は、実は年々減少傾向にあります。
警察庁の統計によると、平成の終わりから現在にかけて構成員数は10分の1以下に。
一方で、「旧車會」と呼ばれる懐古的イベント型の集まりや、SNSでつながる**新しい形の“見せる暴走”**が増えています。
つまり、形を変えて存在しているのが実態なのです。
3. 暴走族が生まれる社会的背景
暴走族の多くは、若者の不満や孤立感が背景にあるといわれています。
・家庭や学校での居場所のなさ
・仲間意識への憧れ
・自己表現の場の欠如
これらが重なることで、「目立ちたい」「自分の存在を証明したい」という衝動が暴走行為へとつながることがあります。
社会としては、ただ取り締まるだけでなく、若者が安心して自己表現できる環境づくりも求められています。
4. 誤解されがちな「警察は何もしていない」論
実際には、警察も多くの対策を取っています。
・暴走予定情報の事前収集
・パトロール強化
・ナンバー特定・後日検挙
・地域住民との情報共有
暴走族が減少してきたのは、こうした地道な取り組みの成果です。
ただし、完全な根絶には至っておらず、「地域ぐるみの連携」が今後の課題です。
5. 社会として何ができるのか
暴走族は、単なる“迷惑集団”にとどまらず、地域社会の教育・支援の問題でもあります。
大人たちが「見て見ぬふり」をすることが、結果的に彼らを助長してしまう場合もあります。
・地域の見回り活動や情報提供
・学校・家庭での交通教育
・健全な居場所づくり(バイクイベントや安全講習)
暴走族を「社会から切り離す」より、「社会に戻す」ための働きかけが重要です。
6. 筆者の考え:暴走族はもはや時代錯誤の存在
筆者は、暴走族は社会のルールを守れない集団であり、他者に迷惑をかける行為を容認できません。
彼らはしばしば反社会的組織とつながりを持ち、その延長線上で犯罪行為に手を染めるケースもあります。
もしも法的に厳罰化が進み、暴走行為に対してより強い罰則が科されれば、暴走族という文化は自然消滅するでしょう。
もはや「若気の至り」では済まされない時代です。
7. まとめ:暴走族問題は社会の鏡
暴走族がなくならない理由は、
・警察のリソースの限界
・証拠収集の困難さ
・少年法などの法制度の制約
・若者の社会的孤立
といった複数の要因が絡み合っているためです。
そして、この問題は「警察 vs 暴走族」だけの話ではなく、社会全体の教育・価値観・地域の連帯感を映し出す鏡でもあります。
暴走族を批判するだけでなく、なぜ生まれ、なぜ続くのかを冷静に見つめ、社会としての責任を考えることが、私たちに求められているのかもしれません。

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