日本の動物園史の中で、「はな子」という名前を知らない人は少ないかもしれません。
戦後間もない日本にやってきたアジアゾウのはな子は、2016年に亡くなるまでの69年間、上野動物園と井の頭自然文化園で多くの人々に愛され続けました。
しかし、その生涯は決して平坦ではなく、喜びと悲しみ、そして多くの教訓を私たちに残してくれました。
戦後の希望として日本へ
はな子は1947年頃、タイで生まれました。本名は「カチャー」。
戦争で心を痛めた日本の子どもたちを元気づけようと、タイの実業家ソムアン・サラサス氏の善意により、日本に贈られることが決まりました。
1949年、わずか2歳半のはな子は船で神戸港へ到着。その後、貨物列車とトラックで東京・上野動物園へ。
名前は子どもたちからの公募で、戦時中に餓死したゾウ「花子」の名を受け継ぎ、「はな子」となりました。
ゾウ・ブームと全国巡業
上野動物園では、インドから来た「インディラ」と共に大人気となり、わずか3か月で約100万人の来園者を記録。
翌年からは全国各地を巡る移動動物園に参加し、東京近郊や伊豆大島などを訪れました。
この頃から、はな子は井の頭自然文化園でも展示されるようになり、やがて1954年に正式に移籍します。
不幸な事故と「殺人ゾウ」の烙印
しかし1956年、ゾウ舎に侵入した男性を死亡させる事故が発生。
さらに1960年にも飼育員が命を落とす事故が起き、はな子は「殺人ゾウ」と呼ばれ、鎖に繋がれ来園者から石を投げられる日々が続きました。
そんな中、新たな飼育係となった山川清蔵氏が鎖を外し、30年にわたり愛情を持って世話を続けます。
この絆は書籍やテレビドラマでも紹介され、多くの人の心を動かしました。
晩年と国際的な注目
晩年のはな子は歯がほとんどなく、刻んだバナナやリンゴを食べていました。
しかし高齢になるにつれ事故が再び起き、2011年からは柵越しの「準間接飼育」に。
2015年には海外のブロガーが「コンクリートの中に一頭だけで立ち尽くす姿」を発信し、45万人以上の署名が集まりました。
タイでも大きく報道され、はな子の境遇を案じる声が広がりました。
69年の生涯を閉じる
2016年5月26日、はな子は69歳で永眠。
死因は呼吸不全で、右前脚に関節炎を抱えていたことも判明しました。
お別れ会には2,800人が訪れ、命日には今も多くの花や果物が供えられています。
はな子が残したもの
はな子の人生は、動物と人間の関係の難しさ、そして深い愛情の力を私たちに教えてくれます。
ゾウはその大きな体とは裏腹に、繊細で賢い生き物。実際、ゾウ(などゆっくりと動く動物)を見ると血圧が下がるという研究結果もあります。
次に動物園に行くとき、ぜひゾウ舎の前で立ち止まり、はな子の物語を思い出してみてください。
きっとその時間は、あなたの心を少し優しくしてくれるはずです。
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